なるべく小さなしあわせと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう(第4回)

 無人島キャンプでの翌日の弁当作りでの一コマ、にっぽり「ゆで卵、何分茹でよっか?」コハル「10分で良いと思う」と作ったゆで卵、殻をむいてみるとさぁ大変!ほとんど生卵!ガーン!と落ち込む僕。「明日のお弁当のメニューどうしよー…」、すかさずコハル「これ中身出して卵焼きにすればいいやん!」と、さっさと卵の中身を割ってボウルに出して、醤油と砂糖で味をつける。フライパンに油をひいて菜箸の先で温度を確かめる。なんとも手際の良い!ステキ!あっという間にぐちゃぐちゃのゆで卵が卵焼きに!なんとも失敗したーと思ってたのが恥ずかしい。これぞまさに生きる力!

 ここのキャンプでは、数値や学力では表せれないことを学んでいることばかりです。その一つに「心のレジリエンス(復元力)」を大事にしています。レジリエンスとは、自然的復元力といい、自分の核となる軸を持っていて、どんな環境でもしなやかな生きる力とも言えます。イメージとしては木に例えることができます。根がしっかりと張っていて強風にも、乾季にも柔軟に耐える姿とも言えます。根がしっかりとしているから栄養素の吸収力も枝葉の復元力もあるイメージです。目には見えないけれどもとても大事にしています。

 よく世間では、心が強いイメージを鋼のメンタルや、成功体験に満ち溢れた人とイメージを持たれてますが、誰もが一番ではないし、数値で図れる世界だけでは「できる人、できない人」「良い、悪い」の勝ち負けのパワーゲームに陥ってしまいます。やれお受験教室だ、プログラミングだ、乳児の早期教育だ。あれもこれもと子どもたちも親たちも情報に振り回され疲れ果ててしまいます。ある不登校の子は「出口のない高速道路を走っているようだ」と立ち止まれない毎日を生きているようだと言ってます。もちろん高みを目指す上で競争は大事なのですが…

 ここでの教育の目指すところの一つに、僕は彼らに軸のあるしなやかな心のレジリエンスが育つ現場になればと日々考えている。そのためにキャンプという最高の遊びのツールで彼らの心にアクセスしていきたいと考えているのです。そのために何が必要なんだと考えると一つに「自分でやるから学びになる」があります。遊びも休むも自分のやりたいことを「自己決定」することをいつも決めています。誘導や同調圧力はなく、彼らが選ぶことを極力保証したいと考えてます。だって自分で選んで決めないと自分のことに責任も負えないのだから。それは自分を生きる上で大事だと考えているからです。

 「自分でやるから学びになる」どんな小さなチャレンジにも学びはあります。できたことも、失敗したことも、きっと学びにつながっていて何も悪く思うことはないのだから。彼らは、失敗にへこたれずにしっかりと次に進んでいく力を持っていると僕も学ばされる。きっとこれからの時代もしなやかに生きていけるだろう。

 そうだ。これは僕の好きなブルーハーツが歌っていた。

「なるべく小さなしあわせと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう~」