私の不安と共に生きていく(第13回)

キンと冷えた空気が流れ、どろんこに大きな氷ができたある冬のキャンプ。

遊び疲れてすっかり夜の帳もおりてきた夕食後、薪ストーブの前に1年生の男の子がやってきた。

通りがかりのだっち(スタッフ)が、元気のない様子と異変に気が付き話しかけてみる。

無言で座り込む男の子はすっかり心の中が落ち込んでいる様子だ。
服装もジャンパーの下にそのままビブス(遊びのチーム分けのユニホーム)を着ている状態だった。

だっちが、「どうしたん?大丈夫か?」と聞いてみると、ポロポロと涙を流し、そしてシクシクと泣き始めた。
だっちが横に付き「涙が出てくるんやな」というと目一杯にうなずき、大泣きしていった。
しばらく背中を擦り「涙が出るんやな」と
その子自身の状態によりそっていると、次第にその子自身の幼い言葉でコンタクトが始まった。

子ども「夜の暗いのが怖い」
だっち「そうか、夜の暗いのが怖いんやな」

子ども「テントで寝るのが怖い」
だっち「テントで寝るのが怖いんやな。初めてか?」

と無理に引き出さず、その子の「今」抱えてる感情によりそっていた。
次第に「帰りたい!」「ママがいい!」と堰を切ったように彼の感情は涙と言葉とともに溢れていった。

それでも、だっちはごまかさずに決して彼をコントロールすることなく30分と心も体もそばにいた。

一通りに彼の感情と付き合った後、
彼は「つかれた。寝たい」と言って眠ることになった。
自分の感情と折り合いをつけて決着が着いた様子だ。

僕の子供の頃の話だが、嫌なことをごまかされてはぐらかされることが記憶にある。
例えばとても行きたくない学校に頑張って行ったらあれ買ってあげるや、あとちょっとで終わるなど、小さな嘘をつかれることである。
不安や陰性感情への向き合い方を知らないまま、大人になった僕。

あのときの不安の未完了の感情は、今の自分の負の感情に向き合えなさに繋がっている。
時折そんな自分の心情と出会い、不安に巻き込まれそうになる。

今も僕はその連鎖の中で生きている。

そして、僕はその連鎖に向き合いたい。

2023年12月にっぽり