やらされてる?とりあえずやっている?やりこんでる?(第5回) - きりかぶのめ

ひとりひとりがやってみたいことをやりこんでみる。
ここの子どもキャンプでは、ひとりひとりの心の自由と自己決定の自由が守られている中で遊ぶことをコンセプトにしています。
心の自由は彼らに体験を通して様々な考え方や思うこと感じることを取り戻し、二つとない感性が育まれると考えています。
自己決定の自由は、自ら「やってみたい」や「やりたくない」を選べる場であれば、遊びのなかで自分の意欲や主体性をより発揮して使いこなすことで、自分らしく生きる人生に繋がっていると信じています。
 子どもたちと関わるときに「やらされている。とりあえずやっている。やりこんでいる」という視点を持っています。
指示することや、教えることをするとそれが正解のようになり、せっかくの遊びが「やらされている」になるからです。
また子どもたちの自己決定を信用できず、待てずに先回りしてアレコレと体験や遊びを一方的に提供すると「とりあえずやっている」なります。
他にも、良い子、悪い子、できる子、できない子という評価の視点で見ると子どもたちは他人に承認されることを目的として生きてしまいます。
つまり自らの感性や気持ちに蓋をして、誰かの枠組みやレールを走らされている生き方をしてしまうのです。
 「やりこんでいる」には、子どもたち自身の「やってみたい」という意欲や気持ちが原動力になります。
それぞれの気持ちや意欲に正解や不正解はなく、誰も裁くことはできないのですから。
何かを自分なりに感じて、考え、思い、それを起点に表現し、行動することは自分らしく生きる原点なのです。また、なにかをしているが良いのではなく、何もしないことですら彼らの表現として関わる必要があるのです。
やってみたいことを遊びで表現することは、生きる上でとても大切なことなのです。
「やりこんでいる」というシーンはキャンプではとてもよく起きます。どろんこに一日中いる子(水着で昼食も食べて午後もする)、朝から晩まで虫かごいっぱいに虫を捕まえるなど例を上げればきりがありません。
 たんけんデイクラブで4ヶ月もの間、毎回イスづくりをするハヤト、不揃いの木材から毎回足を4本切り出し板にくっつけるがイスづくりは難しいのです。
壊れては、足を太くしたり、足と足をくっつけ強くしたリ、試行錯誤の連続で工夫や発見が増えていきます。
スタッフも教えすぎず過不足なく作りたい気持ちによりそい関わります、毎回トライ・アンド・エラーを繰り返しなんとなんと4ヶ月かけひとつのイスが完成したのです。
「今日は工作でイスつくったんよ」と、どこか誇らしげにミーティングで報告してきました。
 とことん子どもたちの視点に立ってみて、遊びこんでみることで見えてきます。
子どもの遊びは、決して大人の尺度や価値観では測れないし決められないのです。
感じることや面白さを決めることは自分自身にしか決められないのですし、それぞれになにか言葉にできないほどのものを感じているのです。

つまり、ただただ自由に遊ばせてるのではなく、しっかりと子どもたちの心の自由と自己決定の自由が保障され、彼らの視点に立ち、とことんついていくことで、彼らは他者の承認から脱却し、自分で自分を承認(自己肯定感)ができるのです。