困っていることを素直に言えない自分。ガマン、ガマン。 (第7回)-きりかぶのめ

自己肯定感ってなんだろう?僕は自己肯定感とは、いかに自分のことを知っていてそれを受容していることだと考えている。
ポジティブな部分だけ受容するのではなく、ネガティブな部分も変えようとせずに受容し共に生きようとしていることだ。
 昔から「にっぽりは器用だねー」「なんでもできるねー」と言われるたびにモヤモヤと孤独感。しっかりしていると見せたい自分と本心は困っている自分のズレがあることに気がついた。
ずっと困っていることが素直に言えずガマンするクセを無自覚に身に着けていた。ふりかえると僕は子供の頃から、「末っ子だから要領が良い」と言われ、その時期大変だった家庭環境もあり親に心配させまいと、何でも自分でひとりでガマンしてやることを無自覚に身につけていった。
もちろんそれで育った部分もあるのだけど、困っている自分はダメで、受け入れがたく見たくない存在だった。これは自分の生きづらさと不自由さの根っこだと最近は自覚するようにしている。
 我慢が美徳という古い風潮がまだありますが、もうやめましょう。ずっと一人でなんとかしようとしてしまうと、どうしても、自分を変えようとするという自分を否定する戦いになってしまいまいます。
変えようとしても折り紙の折り目のように消えずに戻ってくるのだし、他のナニモノにもなれないのですから。
ポジティブな部分ばかりを迎合するのではなく、ネガティブな部分を受け入れることこそ、生きていく上で必要だと感じているからです。
人が育ち自立することは、困ったことを誰かに伝えていき依存先を多く広く持てることだと考えています。人は助け合う生き物で、集団や社会に信頼を取り戻すことが生きていく上で大切なのです。
 キャンプでは様々な子どもたちに出会います。素直に言葉で表現する子、動きや身体で表現する、楽しさを踊りのようにクネクネして飛び跳ねる。
逆に表情の硬さ、大人の目を気にする。言動の不一致さなどにもとても気にかけるように努めています。自分を素直に表現できない、生きづらさと不自由さを抱えていないだろうか。
大人側の姿勢ひとつで子どもたちは、従属させ我慢させる結果にもなりうる怖さもあるのです。
だから、ここでは子ども主体でやりたいことを遊びで表現して、なにかを自分なりに感じること、考えること、表現すること、選ぶことなどの「心の自由」を守りたいのです。
 子どもを取り巻く大人たちも自分を素直に表現できない、生きづらさと不自由さを抱えてないだろうか。心の鎧を脱ぎ心の自由が保障されている居場所はあるだろうか。

自分を知り受け入れ、表現したとき、人は自由になっていく。
それこそが、自分が居場所になる学校なのです。