自分とのつながりを。小さくてもある。大きくてもある。(第11回)ーきりかぶのめ

「おはよー!沼に行ってくる」自由な学校のセイが来てそうそうに網とバケツを片手に取りに行く。最近みつけた沼でヌマガエルを捕まえることに躍起になっていて朝はカエルが油断しているという推理で、朝一番に行くのが重要らしい。沼ではカエルの他にアカハライモリやオオイタサンショウウオなどがいて、アカハライモリを捕まえたことがさぞ嬉しかったらしく飼ってみることになった。透明のコンテナボックスに水を張り、泥をいれて水槽づくりをして、無事完成。しかしコンテナボックスの角にヒビがあり水漏れがあった。どうしよ~。と思っていたら、セイが黙々とコンテナボックスを斜めになるように配置し無事にアカハライモリの住処が完成。
スタッフ(だっち)に「なあなあ、セイ大きくなったなぁ。そして、あんなふうに勝手に考えて動いていたらこの場づくりは勝ちやな」とついニヤリと言う。これぞ育ちと学びの原点と考えます。

そのアカハライモリを世話するセイは大がつくほどの虫好きで毎度毎度、昆虫の図鑑を読み込んでます。図鑑でわからないことがあればよく質問してきます。「なあ、日本ってアジア?」「10センチってどれぐらい?」などなど、興味関心から始まったことは、文字を読むことや地理や大きさの概念まで広がっていき、最近では水生生物がブームです。ここでの学びはホリスティック(全体性、つながり)が特徴だと僕は考えます。全てのことは自分につながっていて、自分につながっている実感があるからこそ学びになるのです。算数の計算問題も自分の生活で使いこなしてこそ学びですし、伝えたいという気持ちがあるから、文字や文章を書くのです。自分の気持ちに繋がりなく、不安から、見えない将来のために、よりよい稼ぎのために良い学歴を得るだけでは、持続可能でないないことは明らかです。心理学者のエドワード・L・デシ※1も「外から動機づけられるよりも自分で自分を動機づけるほうが、創造性、責任感、健康な行動、変化の持続性といった点で優れていたのである」と述べてます。

なので、子どもたちの活動を一方的に大人側の尺度で評価や決めるいうことはないです。1年生だからこれが出来るようにや、せめて文字だけでも読めるようになど大人側の不安を子どもに押し付けることはないです。根底に、人は誰しもより良い方向へ学び成長したいし、主体をもった存在ある。という考え方からです。活動の中でひとりひとりの成長や主体を感じるシーンはあります。先のアカハライモリの水槽の所作や、川でのSUP(スタンドアップパドルボート)の操作に苦戦しながらもをコツを掴みつつ延々と漕いで川を下るすがた。何をしようか一日中ウロウロしながら考えているすがた。なにかができたより、自分を起点にした始まりの微細な所作を見ているのです。それはすごくすごく小さく、千差万別です。そして、それは誰もが持っていて、時間をかけながらもまなざしをむける他者がいて安心を得て再発見していくのですから。大人の責任は、自分の不安を切り分けて、子どもたちのことをどーんと構えて信じましょう。

※1 エドワード・L・デシ 心理学者1942年~ 動機付け理論の大家。「外発的動機付け」と「内発的動機付け」の関係性を理論化した。自律的決定が動機付けに影響を与える「自己決定理論」を提唱した。