自分の理解者を増やしていく。信頼を取り戻し。自分の表現が生まれる。(第9回)-きりかぶのめ

「なぁ、だっち缶蹴りしよー!」「なあクーリース!みてみてー!」「のんのんー!らいらいー!あそぼー!!」と、スタッフを呼ぶ声が響きわたる。子どもたちの「やりたいこと」を聴き、そこにしっかりと呼応するキャンプを年間通してやっている。従来の大人が一方的に活動を提供したり教える教育を真逆に転換し、しっかりと子どもたちの意見や声に耳を傾けることで、毎回のキャンプは「あれしたい」「これもやってみたい」「あれもこれも」と子どもたちの声がたくさん出てきて、わくわくした気持ちが溢れている。ここでのルールは簡単である。どんな気持ちも裁かれない。自由な考えや表現をしても良い。スタッフは子供の意見を聴き、尊重する。ただし、暴力的や奪うなどの行動はNG、でもそこに至った気持ちは気持ちは誰にも裁けない。
この安心安全の中でやりたいことをトコトンやりこむ体験は、至福そのもの。スタッフや異年齢の子どもたちとのフラットな関係性の中で遊びこむことで、互いに信頼関係が構築されていく。ひとりひとりの気持ちが大切に扱われる経験は、自分を大切にすることに繋がる。しかし、キャンプにやってくる子どもたちは様々だと感じる。「〇〇しても良いですか?」と許可を取り続ける子(特にトイレが多い!)、大人の目が気になって仕方がない子、あからさまに良い子ちゃんを演じてる子など、毎回そういった子どもたちとも出会う。最初はとても表情も硬く、「なにを求められてるのだろう」とチラチラと気にしている子どもたちも、共に遊び、しっかりと聴くことで次第にほぐれていく。それほどまでに、自分の意見や声に耳を傾けてみること、聴いてもらう経験が少ないのだろうと感じる。
遊びといっても、とても大切な表現であると考える。やってみたい遊びは主体性の始まりであり、自己決定の一歩で、自分を表現した行動である。そこをしっかりと聴き、呼応する環境は、ひとりひとり彼ら自身の存在を理解することに繋がる。その中でやりたいことをしっかりとやり込む経験は、大人や他者、外の世界に対して信頼を持つことに繋がっていく。人は社会的生き物と言われている。他者との関わりなしでは生きていけない。コミュニケーションの土台は他者に対する信頼である。
今の世の中では、運動、知能の発達など、数値化された見えやすいものばかりを追い求める。コミュニケーションの土台となる信頼、社会性、情緒の発達は無視されがちだ。私たちは知能や運動に関する能力だけではどうにもならないことを、自殺や拒食症など様々な行動を示す子どもや青年たちの例で、今日すでに十分知っていることであろう。
キャンプの話に戻る。ひとりひとりが尊重され、やりたいことをトコトンやりこむ体験をした子たちは次第に自分にバツをつけずに自分の意見や気持ちを表現していける。そして、遊びを通して理解され、聴いてもらった体験をした子たちは、より他者への信頼と共感性を持って生きていけるのだ。